2005年02月27日
日本的経営
株主資本主義の流れは変わらない、と豪語する論調が多い。基本的に「経営者はあくまで株主に雇われた存在」ということか。本当にそうだろうか? ややクビを傾げたくなる。
日本人は、何かと自己否定が多いというのだろうか、日本が遅れているといえば評論家が務まるという具合だ。システムはそれぞれの国の長い文化のなかで形成されるものだと思う。文化はさまざまな環境要因によって出来上がるものであり、一部分を取り出し遅い早いと簡単な解を求めようとすること自体、無理がある。
まず、「経営者はあくまで株主に雇われた存在」という考え方は90年代に入ってから言われるようになった。それは大切なステークホルダー(利害関係者)の一人である株主を軽視しすぎた弊害をコントロールするための反作用のようものだったのではないか。80年代のバブル時は、経営トップの暴走、総会屋事件、不良資産の後追い処理として表れ、これを戒めるように株主主権に変えようとする動きが強まってきたように思う。
コーポレイト・ガバナンス(企業統治)に関して熱く議論され始めたのもこのような背景があるように記憶している。もし「経営者はあくまで株主に雇われた存在」という考え方が行き過ぎると、明らかに株主の暴走が始まるだろう。それはそれで不幸な事態が起こるような気がする。
世界の最先端の考え方にCSRというものがある。そこには企業とステークホルダー(利害関係者)との関係性に関して触れている。その考え方からすれば、決して「企業は株主だけのもの」という考え方はない。株主をはじめ、顧客、従業員・・・その他もろもろ利害関係者への配慮活動を推し進めながら企業活動をすべきだというもの。
そもそも企業の不祥事は常に一部のステークホルダーの利益だけを推し進めた結果として現れたという歴史があるからだ。
「日本的経営」スタイルである、従業員の意欲やチームワークのよさ、顧客の厳しい要求にこたえるキメ細やかなサービス等は、むしろ21世紀型であると思っている。ただ、その強みと有効性を示す「指標」づくり、さらに国際的理解に努めてこなかったことが「企業価値」の概念をいまだに変えられない要因ではないか?