2006年08月03日
隠せない時代
話題のボクシング世界戦を当地ボストンでは見ることができず、ネットのニュース速報や掲示板を確認しながら観戦? した。テレビとは一味違った臨場感があり、それはそれで面白かった。
まず、スポーツ紙のサイトでは、事実を冷静に速報しようという姿勢が伺えた。掲示板は、視聴者の皆さん(おそらくテレビを見ながら書き込んでいる)の心の思いや希望を織り交ぜてのコメント(実況)が多い。2つの情報は裏表のように絡み合う。僕はそれらを比べながら試合内容を想像していく。
振り返ると、ニュースサイトの速報では現状の「事実」は理解できるが将来を予測するような情報を獲得できなかった。掲示板は実にまとまりのないコメントが多い割には、試合を行っている両者の呼吸具合というか「状況」が見え、今後の試合運びが目に見えるような感覚になった。
試合後、プロの判定とは別に、「あなたの判定は?」などという一般視聴者が自由に参加できる投票コーナーもあり、多くの視聴者の目が確認できて面白かった。
ネットの時代とは、「隠せない時代だ」と思ったのは6年前ぐらいだろうか? 世の中の多くの事象は自然にできあった事実よりも、誰かの手によって作られたイメージの方が多いのかもしれない。たぶん、昔からそうだったんだろう。違いは、昔は隠せたことも、今―ネット時代はどうも隠し通すことができない時代といえるのではないだろうか? 少なくても合意形成が非常に難しい。 一言でいえば、誰もが情報を発信しかつ共有できる時代だからだ。
たまたまスポーツの話だが、ビジネスにしても同じだろなあ、と思う。マーケティング戦略の中心を過度なイメージ向上に据えたところで長続きはしない。真摯な姿勢と、事実を踏まえたうえで目の前にある階段を上っていくという考え方が最もゴールへの近道、のように僕は思う。